2009年12月29日火曜日

博士の価値,か・・・

最近すっかりTwitterにハマってしまい,ブログを書く頻度が大幅に減ってしまいました.しかし,やはり誰かがつぶやいていたのですが,Twitterで誰とでも気軽にコミュニケーションができるようになったからこそ,アーカイブとしてのブログの存在はますます重要になっていきます.というわけで,今日はTwitter上であった議論を一つ紹介したいと思います.

事の発端は,嫌煙について何人かの人が話していたときでした.当初はごくありふれた議論が進んでいたのですが,化学リスクの専門家を自称するNPOの代表が加わってから,議論がおかしくなっていきました.彼は極端な嫌煙論者のようで,“化学”・“生理学”・“薬理学”などの観点からタバコのリスクについてヒステリックとも思える主張を展開していました.

プロフィールによれば,彼は化学物質の毒性評価に関する研究によって博士(農学)の学位を取得しているようです.要するに,プロの科学者(化学者)というわけです.しかし,彼の議論には科学者として致命的な問題がいくつかありました.

まず,彼は(自称)化学者らしく,タバコのリスクをニコチンの化学構造や生体内での機能の観点から論じていました.例えば,ニコチンの害について論じるのに「AChレセプターに対する真のリガンドは言うまでもなくアセチルコリンであって、それ以外のゼノバイオティクス(筆者注:ここではニコチンのこと)は全てダミーということです。」といった具合です.これではタバコがアセチルコリンのレセプターに作用して喫煙者に快楽をもたらすことを主張できても,タバコのリスクを主張することはできません.タバコのリスクを主張するなら,喫煙習慣に関する疫学的な研究例を引用すべきです.自らの専門分野に固執するあまり,要素還元的な論法から抜けられないようです.

次に問題だと感じたのが,他者とのコミュニケーションに対する彼の姿勢です.彼はよほど自分の主張を曲げたくないのか,自分の主張に対して反論が来ると,議論の主題などお構いなしにその主張の曖昧な点や弱い点を突こうとします.論理のすり替えです.このようなやり取りで議論がまとまるはずがありません.

これだけならまだいいのですが,私がもっとも許せないと感じたのは,彼の傲慢さです.彼は「博士(農学)」「化学リスクの専門家」という肩書(自称を含む)を盾に,他人の意見をすべて否定するばかりか,他人をバカにさえします.にもかかわらず,ウェブサイトやツイートの履歴を読むかぎり,彼はこれらの肩書を顧客への訴求点としているようです.自分の無知を棚にあげて,肩書きを盾に異なる意見を排除し,自分の主張を通すというわけです.

欧米に比べて民間・NPOで活躍する博士号取得者が少ないため,問題解決の現場と研究者の乖離が日本ではしばしば問題にされます.したがって,博士号取得者が専門家としてNPOを主宰することは,本来歓迎すべきことのはずです.しかし,議論やコミュニケーションの姿勢に問題があるばかりか,博士の肩書きを自分の権威としてむやみに利用するという彼の態度は,PEMコースの履修生として,とても残念に思います.

大学院に在学しているとあまり意識しないのですが,世間で博士号の取得者は特定の分野に関する高度な専門家と評価されます.しかし,彼のように博士の権威をむやみに利用する人をみると,博士の価値って何なのだろうと思います.彼はやや特殊な例かも知れませんが,現場で「使えない」と言われている博士の多くは,彼のように能力に偏り・問題があるが博士号を盾に威張っているという例が,多いのではないでしょうか.PEMとして,どうかそのような博士にはならないよう,自分への教訓としたいと思います.

ちなみに一連の議論は,本気で怒った私がうっかり彼を言いくるめてしまったために(こういう人を言いくるめるやり方があるのです),彼の方から議論を遮られてしまいました.これもコミュニケーションのやり方として良くなかったと反省しています.環境問題の現場では,様々な考え方や価値観を持った人たちと本気で対話していく覚悟・スキルが常に求められます.実際,私は環境問題の現場で仕事をされている方と何度か今回のような不毛な議論をした苦い経験があります.今回も(また)失敗してしまいましたが,こうした教訓を積み重ねていつかは成長していきたいものです.

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